投稿日:2012-12-26投稿者:
こんばんは。
フローマインドの岡田です。
<“気づく”ということ>
うまく伝わるかわからないのですが、
私が”気づき”ということについて、
”気づいた”ことをシェアさせてください。
風邪をこじらせてしまい、昨日近所の
病院に行きました。待合室には、大きな
観葉植物が置いてあります。いままでにも
何度か行ったことのある病院なので
毎回見ているはずなのですが、
それがそこにあることに、昨日
私は初めて”気づいた”んです。
いままで、目には入っていても、
本当の意味で存在を意識してはいなかったんですね。
もしもあの植物が人工のものでも、
いままでだったら気づかなかったし、
気にもしなかったと思います。
でも昨日は、何かが違って見えた。
その植物が生きていることが在り在りと
感じられ、そうすると、まるでよく見える
メガネをかけたみたいに、葉っぱの間から
生まれたての可愛い新芽がのぞいていたり、
葉の一枚一枚が、何も言わないけれど
光に向かって懸命に生きていることなんかが、
急に、鮮やかに、私の目と心に飛び込んできたのです。
いままで、見えていたけど、
”本当は”見えていなかったことが…。
そして、
「もしかしたら、これが”気づく”っていうことなのかな」
と思いました。
目に見えないし、量を計ることもできない、
ライフスキルという脳機能を磨くことを、
つい“難しい”と思ってしまう私…。
そんな私に、辻先生はこう言いました。
「理由や理屈で納得することじゃないんですよね。
やっぱり“気づき”なんです」
これも目に見えませんが、
“気づいているか”、“気づいていないか”の差は
ものすごく大きくて、気づいている人にとっては、
「どうしてこんなに明らかなことがわからないんだろう?」
「どうしてこんなに大きなものの存在に気づかずにいられるんだろう?」
ということなんだと思います。
でも、その明らかな存在に、気づいていない人は
“気づく”までわからない…。
そして先生が言うように、
それは理屈でわかるものではなく、
本人が“気づいた”ときに、初めてわかること…。
先生がライフスキルの存在、クオリティ・オブ・ライフの
大切さに気づいたのは、映画『パッチ・アダムス』を
見たときだといいます。
何がきっかけになるかは人それぞれですし、
いままで何度見ても気づかなかったことに、
急に気づくこともあるかもしれない…。
ライフスキルの存在、大切さに
ずっと前に気づき、それをどうにかして私たちの
“心の目に“見えるようにしようと、
毎日毎日工夫し、苦心している辻先生…。
私もまだまだ本当の意味でわかっていないし、
もっともっと鮮明に、おなかの底でズシリと
わかりたいと思っています。
そのためには、日々のライフスキルの練習、
つまり意識して、そして感じる体験の繰り返し、なんですね。
そして、“気づきたい!”、“わかりたい!”という気持ちを
常に持ち続けることが大切なのではないかと思います。
今日もお読みいただき、ありがとうございました。