投稿日:2013-11-27投稿者:
こんにちは。
スポーツドクターの辻秀一です。
突然ですが、質問です。
「好きな音楽はありますか?」
好きな曲でも構いませんし、
好きな歌手や好きなジャンル
でも構いません。
何か思い浮かべてみてください。
ではなぜ、その曲、その歌手、
そのジャンルが好きなのですか?
理由を思い浮かべてみると、
色々と出てくるかもしれません。
曲調が好きだとか、歌詞が好きだとか、
その人自身の生き方が好きだなど……。
しかし、それは何か明確な理由でしょうか?
もし、曲調が大きく変わったらどうですか?
歌詞の方向性が変わったらどうなりますか?
好きでい続けるかもしれませんし、
興味がなくなるかもしれません。
しかし、ここで考えて
いただきたいことは、
好きに明確な理由などない、
ということです。
曖昧であやふやなものなのです。
「好きなものは好き」以上です。
「わたしは周波数が
何ヘルツ 〜 何ヘルツの
音楽が好きです。」
などとはならないのです。
わたしたちは、認知的な
社会で生きているため、
何か明確な理由や
理屈がないとダメだ、
好きになってはいけない
と思い込んでいます。
同じように、楽しいと
感じるのにも理由が必要。
やりたいと思った事を
やるにも理由が必要。
常に理由や理屈、根拠を
必要だと思い込んでいます。
しかし、このような
認知的なアプローチ、
すなわち、わたしが
「意味付け」と呼んでいるもの
ばかりを探し求めていると、
何もできなくなってしまいます。
数学が好きだけど、
テストの点数は良くないし、、、
歌が好きだけど、下手だし、、、
サッカーが好きだけど、
うまくできないし、、、
という理由を勝手につけて、
好きという感情を封じ込め、
行動に制限を付けてしまうのです。
人を好きになる、
ということにすら
意味付けを行っています。
年収がいくら以上で、
容姿はどんな感じで、
趣味は何で、
住んでいる場所はどこで、、、
という条件に当てはまらないと、
好きになってはいけないと
思っているようです。
このように、認知的な
意味付けに基づいて
自分の素直な感情を
無視していては、
当然、人生を楽しんだり、
人生の質を高めて
いくことはできません。
わたしたちの心や
感情といったものは、
理屈や根拠では
説明できないものなのです。
それを無視し続けることは、
フローな生き方、
ごきげんな生き方とは
真逆を行っています。
もっと、自分の素直な気持ちに
従ってみてください。
自分の感情に気付いてみてください。
そうすることで、心や感情など、
目に見えないものに、もっと
価値を見いだすことができます。
フローの価値を、より実感し、
心を大切にする生き方が
自然とできるようになるのです。
そして、結果的に、
望む成果や人生を
実現していける自分に
なることができるのです。