投稿日:2013-12-24投稿者:
“常識とは、18 歳までに身につけた
偏見のコレクションのことをいう。
これはアインシュタインの
言葉だそうです。
18 歳の根拠は分かりませんが、
確かに常識というのは、
あってないようなものですから
偏見という表現もうなずけます。
辻先生は、フローという状態を、
「ゆらがず・とらわれず」
と表現していますが、
「とらわれ」というのは、
まさに常識と言えます。
「普通」や「常識」は、
ぼくたちが過去の経験に
もとづいて作り上げた
概念でしかないわけですね。
そして、この「普通」とか
「常識」という枠組みは、
とても居心地がいいものです。
この枠の中にいれば、
安全だし安心できます。
それに、このような枠組みが
あるからこそ、ぼくたちは
社会で生きていけます。
極論を言えば、
「人を殺してはいけない」
という常識があるからこそ、
ぼくたちは安心して人と
関わり合っていけるのです。
常識や普通といった概念は、
ぼくたちが社会生活を
おくる上で必要なものである一方、
リスクもあります。
例えば、、、
新しいプロジェクトを
やろうとしても、
「うちの業界では
普通そういうことはしない」
というとらわれを持っていると、
プロジェクトは先に進みません。
「起業したい」と思っていても、
自分には能力が無いという
思い込みを持っていると
起業できずに終わってしまいます。
社会の変化を見て見ぬ振りして、
「今まではうまくいっていた」と
過去のやり方に固執すると、
会社の業績は下がってしまうでしょう。
誰もが変わりたいと言いながら、
中々変わることができないのは、
この「常識」や「普通」の枠の中が
居心地いいからなんですね。
ですが、もし「常識」や
「普通」といった概念が、
絶対普遍のものではなく、
自分や社会が創り出した
妄想なんだ、ということを
分かっていればどうでしょうか?
新たなチャンスや可能性を
手に出来るような気がしませんか?
「今までは〜」とか、
「自分には〜」とか、
過去の経験を言い訳に
したりすることなく、
変化を手にしていくことが
できるような気がしませんか?
別に「普通」が悪いとか、
「普通」はダメだとか
評価する必要はありません。
ただ、その概念は結局
自分たちが創り出しているな、
と気付くと、次第に「普通」の
枠組みを崩すことにつながって
いくのだということを
辻先生もおっしゃっています。
会話の中で、「普通は」とか
「一般的には」とか、このような
言葉を使っていることに気付いたら、
まずはその枠組は、
あくまでも自分が創り出したものだ
ということに気付いてみてください。
いずれは、今の自分では
想像もつかないような
大胆な行動だって、迷うこと無く
できるようになるかもしれませんよ。
— フローマインド事務局