投稿日:2014-09-02投稿者:
子どもって、よく自分の持っているものを
人にあげようとしませんか?
知らない人に対しても。
例えば何かお菓子を食べていると、
そのお菓子を分け与えようとする。
言葉は話せなくても、
手を差し伸べて与えようとする。
そういう光景を見かけたり、
または実際に与えてもらった
という人は多いと思います。
子どもの行動って
本能に近いと思うので、
人のこのような行動は
きっと本能的なものなのでは
ないかと思います。
与えようとすることが、
自然な行動として
遺伝子に組み込まれて
いるのではないでしょうか?
その方がきっと気分がいいから
だと思います。
与えるという言葉の意味を
知らなくても、子どもは
与えようとします。
与えようと考えていると気分がよくなる。
つまりフローになるということを
まるで知っているかのようです。
与えると考えると気分がよくなるのは
何も子どもだけではありません。
わたしたち大人も、
何か与えようとするときは
気分がよくなりますよね?
でも、決してモノをあげようとか、
何か自分のスキルを提供しようとか、
具体的な何かを与えることに限りません。
与えると考えるだけでも
気分が良くなりますし、
フローになります。
与えると考えることは、
フローの風を吹かせる秘訣なんですね。
でも、、、わたしたちはどうしても、
「何」を与えればいいのか?
ということが気になります。
自分には与えるものがない……
こんなものを与えてもいいのだろうか?
与えてたところで相手は喜ぶだろうか?
このようなことが
気になるのではないでしょうか?
でも辻先生は言います。
「何」という対象があるのは
ライフスキルではない、と。
例えば、感謝するという思考。
これも与えると考える
ライフスキルの1つです。
これも感謝する対象は必要ありません。
誰かや何かに感謝しようとすると、
どうしてもそこに理由が必要に
なってしまいます。
そうすると、外側に依存した
思考になってしまうので、
いつでも自分の心を
フローにしていくことはできません。
ただありがたいと考えてみる。
それだけでいいんですね。
そう考えてみたとき、
自分の心にどんな変化が生じるか、
それを見つめてみると、
おもしろいと思いますよ。
— フローマインド事務局
P.S.
人間の心の法則に従って
自分をフローにしていきませんか?